民主党 衆議院議員 小川淳也
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〜会議録(2013年4月15日 予算委員会第4分科会)〜

○萩生田主査  これにて笠浩史君の質疑は終了いたしました。

 次に、小川淳也君。

○小川分科員  民主党の小川淳也でございます。

 大臣におかれましては、きょうは夜八時半まで大変長丁場の御審議、本当にお疲れさまでございます。心より敬意を表させていただきます。

 私、文部科学委員会に初めて所属をさせていただきます。それなりに教育問題について関心、興味はございますが、何分にも知識と経験は大臣に比べますと十分ではありません。その意味では、ぜひ胸をおかりしながら、いろいろと御指導いただきたいと思っております。

 基本的に、こういう感覚を私は持っています。これまで、経済成長期、人口増大期を前提にした、暗記、あるいは速やかに効率的にたった一つの正解にたどり着くことを求める教育から、課題設定をし、問題解決能力を磨く、答えは一つじゃない、自分なりの正解を生み出す、表現力を増す、こういう教育へと、大きな優先順位、価値観を切りかえることが必要なんじゃないかという観点に立って、それぞれこれから各論の議論、御指導いただきたいと思っております。

 ちょっと本題に入る前に、きのう、青森の市長選挙と郡山の市長選挙、投開票が行われました。今、内閣支持率も非常に高いですし、調子がいい。そういう中で、特に郡山では、事実上自民党さんが支援された現職が敗れた。この二つの結果、御存じか御存じでないかもありますけれども、どういうふうに評価されるか、ちょっと政治的に御見解をお聞きしたいと思います。

○下村国務大臣  きょうはちょっと、新聞がないものですから、結果は存じ上げておりません。ただ、地方の首長は、これは政党選挙ではありませんし、人物がどんな実績があったかということだと思いますので、安倍内閣あるいは自民党の支持と必ずしも直接関係するものではないと思います。

○小川分科員  模範の御答弁だと思います。

 ただ一方で、こういうことも報道されています。例えば郡山については、除染の問題を含めて、市民のいら立ちが現職に対してあるんじゃないかというような報道があります。そして、青森に関しては、TPPを含めて十分な善後策の提示、総合的な安心感が出切れていないんじゃないかという報道があります。

 無関係だという御答弁は一応この場でそれとして受けとめますが、そこに政権としてのある種の謙虚さのようなものがにじみ出てくると、より一層この政権は手ごわく、手がたいというふうに、私は野党の立場から見ているわけなんです。

 そこで、第一次安倍政権のときに、たしか大臣は、官房副長官として、最側近の一人として御勤務でいらっしゃった。第二次安倍政権、六年たった今、文部科学大臣として最も御専門の分野で活躍をされている。

 いかがですか、第一次安倍政権と第二次安倍政権を比較されて、変わっているところ、変わっていないところ、かつてよかったけれども今もいいところ、しかし、かつての反省に立って現在改善したところ、いろいろお感じになっているところがあるんじゃないかと想像しています。率直に。

○下村国務大臣  それは、最初に委員がおっしゃいましたが、我々は、謙虚さを旨としていこうということは第二次安倍政権の大きなキーワードだというふうに思います。一度失敗しましたから。第一次安倍内閣は失敗したと思っています。

 それはいろいろな状況がありますが、しかし、幾ら自分たちが考えていることが正しい、正義だと思っても、民主主義というのはやはりコンセンサスが必要ですし、あえて敵をつくる必要がないところで敵をつくってしまったようなところも第一次安倍政権のときにはあったのではないかというふうに思います。

 特に、今の状況というのは、ますますこの日本が、歴史におけるターニングポイントでもあると思うんですね。この日本が衰退のままアジアの四流、五流国になる成り下がってしまうのか、もう一度日本が再生できるか。これは経済再生だけではありません、教育再生も含めてですが、国民が、この国に生まれてよかった、そして日本はすばらしい国だと思えるような、よみがえるような日本にできるかどうかという、今、いろいろな意味でぎりぎりの歴史的な転換期にあるというふうに思います。

 そういう中で、できるだけ多くの、野党の議員だけでなく、国民の皆さんからも理解をしていただくことをしていかなければ、真の改革はできないというふうに思いますし、そのためには、政権における姿勢としての謙虚さとか、それから、国民の皆さんから、野党の皆さんからも期待を持ってもらえるような政策運営については、十二分に注意しながら、配慮しながら、しかし、やるべきことはやる、そういう姿勢で、少なくとも第一期のときよりは今の方が慎重に対応しているということは言えるのではないかと思います。

○小川分科員  よい御答弁をいただきました。

 私、この間、本会議場で、同旨のこと、少し言葉が乱暴だった面もあるんですが、お尋ねしました。それで、第一次安倍政権の失敗を、率直に失敗とおっしゃった。私たちは言えた義理じゃないんですね、本当は。私どもも、三年前、あれだけの期待をいただきながら、それに十分応えられなかった。その呵責は、もちろん今でも負っていますし、これからも負い続けることになると思います。

 しかし、現在の安倍政権、自民党政権を拝見していて、ある種、謙虚さとか民意に対する恐れ、慎重さには、極めて安定感、手がたさ、手ごわさを感じていますし、むしろ、私たちが学ばなければならないものの最大の要素の一つだというふうに、それこそ謙虚な気持ちで拝見しております。

 それとの抱き合わせの中で、もう一つ、少しひっかかる点、これは第一次安倍政権のときもそうでした。当時必死だったのは、やはり、防衛省への格上げ、憲法改正の国民投票法、そして教育基本法の改正。憲法観、あるいは国防の問題、あるいは教育、あえて申し上げます、やや国家主義的な色彩の、においのする教育、こういうものが当時も現在も変わっていないなという印象を受けています、その地金の部分がですね。

 それに関連して、この間、予算委員会で、総理も下村大臣も、学習指導要領の見直しに言及された。きょうも、午前中ですか、教育委員会制度の抜本的な見直しを教育再生実行会議が提言しておられる。これは大いにやるべきだと思います。

 しかし、冒頭申し上げた、私の中での教育に対する大きな価値観の変更は、高度成長期に成り立った大企業のサラリーマンを育てる教育から、むしろ、成長を前提としがたい時代にあっての、自分の中の思考能力とか表現能力を高める教育へという、大きな価値の転換なりコンセプトの変更があっての諸制度の議論というふうに持っていくべきであって、そこに何か復古主義的な色彩とかあるいは強制的な香りとかいうものがあっては、これはやや危険を感じる人たちも出てくるんじゃないかと思います。

 そこで、お尋ねします。

 学習指導要領を含めた教科書検定、何が問題で、どう変えようということを、頭の中でも結構です、考えておられるのか。これはやや機微に触れるお尋ねなんですが、その背景にある大臣の戦争観について、どんなお考えをお持ちなのか、またそれはなぜなのか、そういったところを前半ちょっとお聞きしたいと思います。

○下村国務大臣  いろいろな御質問がたくさん入っていたというふうに思いますが、端的に申し上げて、まず、第一次安倍政権において、我々は政策的に失敗したとは全く思っていません。手法の問題等で敵をあえてつくったというところはあったかもしれませんが、しかし、第一次安倍政権でやった政策について、それはそれで短期の中でよくそれぞれ実現できたというふうに思っておりますし、逆に、政策については、我々は何ら恥ずべきことがないというふうに思います。

 ただ、その手法の問題で、与野党に対するより丁寧な説明等がもっとあった方がよかったということと、それから、失敗といいますか挫折、要するに、短期間で、一年ちょっとで終わったというのは、やはりそれは挫折であるというふうに思っています。

 それは安倍総理の健康の問題もありましたし、第一次安倍内閣で、失言等いろいろなことがあって、結果的に次から次へと閣僚がやめざるを得ない状況が出てしまったということが安倍内閣の支持率を下げたということにもつながってきたと思いますし、結果的にそれが短命になってしまった、我々が考えている以上に短命になってしまったという部分があったと思いますので、そういう手法の問題で反省すべき点は多々あるというふうに思います。

 しかし、政策の部分は全くぶれておりませんし、これからも、やり遂げられなかった部分については、問題があるというか、逆に、これから日本がなすべきことをきちっとできていなかった、そういう挫折感を持っておりますので、それを一つ一つ達成していくことは大変重要なことであるというふうに思います。

 それが、例えば教育再生という言葉も非常に誤解されるんですが、特定のある過去の、端的に言えば、例えば戦前の国家主義的な教育を復活させるとか、そういう意図は全くないんですね。

 そもそも、教育再生というのはもっと本質的な意味で捉えておりまして、例えば、教育を英語で言えばエデュケーションですけれども、エデュケーションはもともと、ギリシャ語の引き出すという意味が語源としてあるわけですね。つまり、一人一人が持っている潜在的な能力をいかに引き出すか、それこそが教育の本質的な役割であるというふうに思いますが、そういう本質的な役割、つまり、一人一人の持っている能力を引き出して、そして、その人が自分にはそれだけの能力や力があるということについての自己充実感と自己評価と、同時に、それが個人の自己満足だけでなく、社会に対して貢献することによって、自分は社会にも役に立っている、そういう仕事を得るということは、人生における価値観を、幸せという価値観を得るためにも大変重要なことだというふうに思うんですね。

 そういう本来的な教育、それを教育再生というふうに申し上げているわけですけれども、それをしていくという意味で申し上げているわけでございます。

 同じように、道徳の教科化というと、今言われたような特定の価値観とか特定の国家観を押しつけるがごとくのイメージをとっておられるように、今の質問でもちょっと聞いていて思いましたが、そういうことではありません。

 道徳というのは、国家の価値観を押しつけるということではなくて、我々は、もっと、国境を越えて、民族を超えて、また歴史を超えて、人が人として生きる規範意識とか、社会のルールとか、人の道ですね、それはやはり発達段階に応じてきちっと子供たちに教えていくべきことだろうというふうに思います。

 それをきちっと教えていないということが、ある意味では教育の放棄にもつながってくることであるということで、これも、道徳の教科化というのは、何か特定の時代の価値観を持った教育をもう一度復活させるということでは全くないということを申し上げたいと思います。

○小川分科員  ずばり歴史観に関して申し上げますと、昨年の十一月の自由民主党さんの教育再生実行本部の取りまとめ、教科書検定・採択改革分科会、松野先生が座長、「多くの教科書に、いまだに自虐史観に立つなど、問題となる記述が存在する。」という記述があります。それから、いわゆる近隣諸国条項については見直すというふうに結論づけられております。

 この内容については大臣も同じ御見解ですか。

○下村国務大臣  昨年十月に発足した教育再生実行本部、私は本部長でありまして、そこで、今の御指摘のことを含めた五つの分科会がありました。松野さんには、その教科書検定の分科会の座長をしていただきました。私は本部長でございますので、その取りまとめをしたという立場でございます。

○小川分科員  そうすると、文部科学大臣御就任後も内閣の重要閣僚として同じ認識をそのまま引き継いでおられるというふうに理解をいたしますが、これはまたちょっと時間のあるときにじっくり、私も、この分野に関してそれほど十分な知見、知識を持ち合わせている自信がきょうの段階ではありません。しかし、国内に与える影響もそうですし、対外関係も含めて、極めてセンシティブな話題だというふうにはわきまえているつもりであります。

 ここはある種、道徳観にも関連しますが、自発的に持ち得る郷土愛とか愛国心と、何か政府や教育機関から教えられた愛国心なり郷土愛、これをやはり混同してはならないというふうに強く感じます。

 その意味で、例えば道徳観に関しても、大臣は非常に道徳的感性を備えられた政治家の先輩だというふうに私は拝見しておりますが、これは、大臣が受けられた教育課程の影響ももちろんあるかもしれません。けれども、むしろ、大変困難な家庭状況の中で物ともせず大臣をお育てになられたお母様、そしてその中で、苦学をされながら、さまざまな友人との出会い、いろいろな公的機関からの助け、こういったものを全て糧とされて今日に至っている大臣の、育たれた、育まれた全ての環境、どちらが大きな影響を受けているのか。あるいは、もっと言えば、大臣が小学校、中学校御在学中に道徳という教育科目が教科化をされていれば、下村博文という政治家はより道徳的になったのかどうか。

 私は、そういう切り口から物事を考えていったときに、今とろうとしておられるアプローチに対しては、実効性があるかないかも含めて、やや疑問を感じる立場であります。もっと言えば、思想とか信条、あるいは信教の自由というのは、憲法的価値体系の中でも最上位に位置する自由権であります。そうすると、政府なり国家がここに踏み込むことに関してはやや抑制的でいるという姿勢そのものが、近代の憲法価値観的民主主義社会においては非常に大きな価値であります。

 こういうこともあわせて、ぜひ謙抑的に御議論いただくことがここは必要じゃないかという気がしてなりませんので、あえて指摘をさせていただき、今後、ぜひ文部科学委員会本体での議論を含めて御指導いただきたい点であります。どうぞ。

○下村国務大臣  例えば憲法、それから宗教ですね、こういうのと教育というのを一緒に考えておられるのではないかと思います。

 教育というのは、私は、それぞれの自由な価値観の中で学ぶべきレベルの教育と、例えば義務教育というふうに、そもそも国が、学習指導要領、教科書、こういうものを明確にすることによって、発達段階に応じて学ぶべきものはきちっと学ばせる、これは近代国家として必要なことだというふうに思います。それを、強制的だとか、あるいは、その子のそのときの関心に合わないということで、もしそれぞれの生徒の自由な状況に置かれたら、これは社会の中で適応しない子供をどんどんつくっていくということになってくると思いますね。

 社会というのは、特定の国家における、価値観における社会ではなくて、人間というのは社会的動物でもあるわけですから、一人で生きていくことはできないわけですから、人が人として生きていくために学ぶべき、またその社会の中で知っておくべき情報、これを教育の中できちっと教えるということは、近代国家として必要なことだというふうに思います。

 これは、あるときは強制しなければならないことだと思います。それが義務教育ですね。つまり、例えば、小学校一年生から中学三年生の九年間は、六歳から十五歳までは必ず学校に行って学ばなければならない。憲法にも書いてあるわけですが、日本国として、日本国だけでなく近代国家はどこでもこういう学校教育を義務として課しているわけでありまして、学ぶべきことを学ばせるということは必要なことだと思います。

 その中で、私は、道徳については、子供のころ、もっと学校教育で学ぶ場をつくってもらいたかったなと率直に思っているんですね。教育は知育、徳育、体育と言われますが、しかし、実際に、徳育がその三つの中の一つの重要な分野として学校教育の中で自分は習ってきたかというと、ほとんど習わないまま来てしまったというふうに思っております。

 小学生のころ、むさぼるように図書館で偉人伝を読んだ時期があったんですね。偉人伝を教えるということは、特定の人の価値観を国民に教えるとかそういうことじゃなくて、どんな偉人であっても、最初から人生で大成功して、大天才でうまくいったということではなくて、まさに天才と言われる人であればあるほど、あるいは偉人と言われる人であればあるほど、それだけ、人の何十倍も、人生の中で、苦難の中で、苦闘の中で、失敗もたくさん重ねていく中で物事を達成した。だからこそ、偉人と言われたり、結果的に天才と言われるような実績なり発明をつくった人だと。

 そういうことを学ぶことによって、人は、あるいは、学ぶというのはまねぶとも言われますけれども、人の生き方、なるほど、人生というのはこういうことをすることによって、偉人伝をそれぞれが学ぶことによって、自分の生き方そのものに未来が見えてくるとか、生きる勇気が湧いてくる。こういうことは、それは数学、英語も必要ですけれども、しかし、道徳的な部分の中で、人が生きるためのエネルギーといいますか心の燃焼というか、そういうものを提供する貴重なものだというふうに思います。

 ですから、道徳というと、人によって解釈が、古びたようなイメージで捉えるのであれば、もっと本質的に、例えば人間学というふうな形で、それぞれの発達段階に応じて、もっと本質的なことを教えた方がよりいいのではないかというふうに私は思っているぐらいであります。週一回の授業というよりは、週三回も四回も、もっと、人が幸せに生きるということはどういうことなのかということを、今、誰も教えてくれないんですね、子供たちにとって。しかし、それは子供だけじゃなくて親の世代も同じです。

 私は、そういうものをきちっと教えるべき時期に、こういう先行きがわからない、見通しがつかない時代であるからこそ、逆に求められているし、問われているのではないかとさえ考えているところでございます。

○小川分科員  一定程度理解いたします。しかし、算数の技術や英語の文法と違って、道徳観、価値観、あるいは場合によっては思想信条につながる部分については、極めて一義的、一律には教え込みにくい部分であり、それぞれが相対的な感受性を持つ部分であり、それぞれに、趣味あるいは育った背景、さまざま多様であり得るということに対する謙虚さとか繊細な感覚はあわせて持ち合わせるべきだと思います。その点は指摘させていただきたいと思います。

 ちょっと時間があれですので、この道徳という観点に直接関連するかどうかあれですが、年末から昨年度末にかけて、教職員の方が、退職金が減らされるから、途中で学級課程を放棄して駆け込み退職するという事例が多々ありました。

 これは時間の関係で指摘にとどめますが、一万四千人の三月末退職予定者のうち、約千名近い方がこういう行動をとられた。これは、道徳的に非難することは簡単かもしれません。しかし、そもそもこれは私どもにも責任があるわけですが、退職手当の減額を開始する時期の設定を含めて、社会制度を設計した側が、やはり、人間のモラルと経済合理性、本来はこれが両立するような制度設計をすべきだった。しかし、そこに生まれたそごがこういう形であらわれ、社会的に非難の対象となった。これは私は、先生方のモラルに帰着させてはならない課題だという反省を込めて、余り国会で議論になっていませんので、指摘だけさせていただきたいと思います。

 ちなみに、消防職員の方々は一%にも満たない、教育課程の方々は七%近い方々が予定時期を早めて退職しているという事実だけ、ちょっと確認させていただきたいと思います。

 全体として、伝統文化を重視するというのはさきの教育基本法の改正でもそうでしたし、また、現在も、大臣が一つの大きな課題として背負っておられる。

 そこで私、これは地元で要請を受けていますので、ちょっと具体的に、高松市の、茶道に励んでおられる横倉先生、宮崎先生、川原先生初め複数の方から、学習課程を考えるに当たって、子供たちに茶道教育をより普及させてほしいという要請をいただいています。私は、一理あると思います。現在の学習指導要領ですと、柔剣道、それから和装、こういったものは明記されているようですが、茶道とか華道とか、文化的要素はまだまだ貧弱な気がします。

 大臣、この点、ぜひ前向きな御答弁をいただけたらありがたく存じます。

○下村国務大臣  先ほどの先生の退職の件は、感想ということですから私も深くは申し上げませんが、ただ、担任等を持っている先生は、あと一カ月ということでしたら最後までやってもらいたかった、これは記者会見でも申し上げました。また別の機会に、時間があれば詳しくお話を申し上げたいと思います。

 日本の伝統文化、茶道、華道、こういうことを子供たちに教えることは、大変重要なことだと思います。

○小川分科員  ありがとうございました。

 さっきお聞きしたところですと、学習指導要領の見直しがどうも十年に一回ということのようですので、次が平成三十年前後かと思います。ちょっと先の話になりますが、茶道、華道といったものについても、日本人の基本的な素養の問題としてぜひ積極的に取り入れをお願いしたいと思います。

 もう一点、せっかくの分科会ですので、地元に関連した政策課題をお尋ねします。

 四国八十八カ所巡礼というものが、一つの歴史的、文化的遺産として、有形無形のものも含めてでありますが、存在します。私も香川県を選挙区としておりまして、複数、たどれば、空海、弘法大師発祥の真言宗関連のお寺さん、あるいは、その巡礼の道中、道すがらのお接待の文化、地元では、巡礼のけさを着た方々がよくつえをついて歩いておられます。これをぜひ一つの世界遺産としてという要請が、希望が、願いが長らくございます。

 現在、十二の文化遺産と四の自然遺産が我が国からは登録されているようでありますが、その他にも、富士山を初めとしたそうそうたる自然遺産、文化遺産が潜在リストに入っている中で、ぜひこの四国八十八カ所についても前向きに御研究、御検討いただきたいと思いますが、この点いかがでしょう。

○下村国務大臣  香川、徳島、高知、愛媛の四県が共同で、四国八十八カ所霊場と遍路道を世界遺産の候補として提案し、推薦のための準備を進められていることは承知をしております。

 世界遺産に推薦するためには、ユネスコ基準に基づき、一つに、普遍的な価値の証明、二つ目に、価値を保護するための法的措置や体制の構築が必要であります。

 四国八十八カ所霊場と遍路道については、一般民衆による霊場巡礼の生きた文化を継承するものとして価値が高いものでありますが、霊場巡礼といった無形の文化をどのように有形の文化財で価値を表現するのか、また、全長千四百キロメートルにわたる壮大な巡礼道を具体的にどのように保全するかなど、基本的な課題が一方であるというふうにも承知しております。

 しかし、文部科学省としては、引き続き、この四県の取り組みを技術的、専門的な側面から支援しながら、こういうものについて、私自身は、まさに世界遺産にふさわしい価値があると思います。それを世界の方々にわかっていただくような理論武装等々、法的準備等をきちっとしていただくということについて、文科省としてしっかり支援をさせていただきたいと思います。

○小川分科員  ありがとうございました。

 私もまだ、八十八カ所、ほとんど行けていないんです、もう地元の近いところに厄よけで行くぐらいで。ぜひ、大臣も一度、時間ができましたらお運びをいただきますことを御期待申し上げまして、きょう、大変大きな話から地元の話題まで真摯に御答弁いただいたことに感謝を申し上げて、質疑を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

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